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2021_0611_070826 区間急行

写真: 2021_0611_070826 区間急行

写真: 2021_0611_072501 守口市駅救済 写真: 2021_0611_070428 最澄没後1200年

区間急行も現在はほぼラッシュ時のみ運転の種別です。
終日運転だった時期もあります。
複々線区間のうち守口市〜京橋間の6駅を通過するだけの種別です。
大阪府下だけの運転です。
現在は樟葉始発は朝4本、下りのみです。枚方市始発もそう多くはなく、殆どが複々線区間の萱島発着です。
一般には区間急行は準急より上位の種別という鉄道が多いですが、京阪では準急の方が上位になります。
多分これは種別の来歴によるところが理由かなと思っています。
通常はベースに急行・準急があって、このうち急行の一部の区間が各駅停車になっている、というような感じのものが多いですが、
京阪の区間急行はベースに急行・準急・普通があって、このうち普通の一部区間で通過運転しているものを区間急行と名付けた、という生まれだからだと思います。
複々線区間が完成した昭和初期には主要駅に停車する急行は急行としてあり、それに停車駅を追加した準急もあったそうですが、普通列車についても純粋に全駅停車するものと複々線区間は急行線を走って京橋〜守口間は通過のものがあり、行先の看板に赤囲みのマークをつけて区別していたらしいですが、さすがに紛らわしいので後年になって一部区間を急行運転する普通として区間急行と名付けられたようです。

その名残を感じさせるものに看板がありました。
今のような行先幕がつく前は看板を掲げていましたが、京阪は急行は丸板、普通は角板でした。
準急も丸板で急行の一族だと感じさせるものでした。
http://photozou.jp/photo/show/251552/148912165
この区分けは他の私鉄も南海や阪急もそうで暗黙のルールみたいな感じでした。
南海は区間急行も丸板でした。

ところが京阪の区間急行は丸板でなく角板が使われていました。
残念ながら区間急行の板そのものの写真が見つかりませんが、
↓が淀屋橋〜萱島の折り返し普通電車の板で
http://photozou.jp/photo/show/251552/148922356
これの裏側が、行先の下の方の白い空白部分に赤字で「急」と書かれてた区間急行の板になっていました。
京阪の区間急行が普通一族に属していたことを思わせる看板でした。
(子供心に、なんでこれで知らん人が区間急行て解んねん、とずっと思っていました。)

昭和55年に守口市〜萱島間の複々線が開通した時のダイヤ改正からこの角板も赤字の「急」を止めて今の区間急行の種別のカラーである緑字で「区急」と書かれるようになったと記憶しています。

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