あの日、なにをしていましたか・・・あなたは
あれから三年の月日が流れました
復興・絆と言葉だけが独り歩きをし
それぞれの人生が変わってしまった被災地
いま私たちは考えているのだろうかその後を
今一度考えてみましょう・・・あの日の事、そして今を
あの日私は仕事で銚子市に居て地震に遭いました、ともかく帰ろうと思った時には車のTVには三陸の映像が流れていました
ここも危ないと思い銚子で一番高い犬吠埼へと向かいました、そして津波を目にしました、あの光景は忘れられない出来事となりました
僅か南の旭市ではとんでもない事が起きていたのは後で知りました
この日は銚子から成田まで全くの暗闇の中、五時間も掛けて帰ったものでした
震災で帰らぬ人となった方々にはあらためてお悔やみ申し上げる次第です
アルバム: 自然なる風景
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コメント (4)
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あの日仕事で付き合いのある鈑金工場にいました。
そこで話をしていたら地震に遭ったんです。
ジャッキに手を掛けて話していたら、震動がいつものモノと違ったモノを感じていたんです。
妙に長く、次第に強く感じられる様になってきました。
暫くして、地震じゃないかとなって、ヤバいから出た方が良いかもと話していたら、体感出来る揺れが襲ってきました。
頭の上から落ちてくる物が多い場所なので、工場の中から抜け出した瞬間です、あの大きな一発目がやってきました。
シャッターを潜った直後、そこにあった棚が崩れ、辛うじて難を逃れます。
激しい揺れは足を取り、容易に前に進めません。
携帯を取りだし、動画を撮影し始めましたが、大きい瞬間は撮れていなかった様に思います。
Youtubeにありますね。2014年3月11日 04:41 柳島蒼機(心臓リハビリ中) (18)
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自分の所属する支社が気になりましたが、変に行っても邪魔になるだけだし、心配でしたが兎に角一旦帰宅する事にしました。
その日は定例の研修の予定が合ったのですが、勿論中止です。
帰宅後、玄関を開けるとメチャクチャです。
整理しないと中には入れませんでした。
半ば開拓する様な気分で、再三襲ってくる余震の中玄関を片付け、中に入り、自室に戻ると酷い有様でした。
普段から気を付けていたので、基本的にはPCの前のスペースは確保されていました。
自分の計算は合っていたのを確認出来ました。
しかし、激しい揺れで足の踏み場はなく、PCディスプレイが倒れた事で、マシンはハングアップしていましたから、位置を正して再起動させて、支社と安否確認をしました。2014年3月11日 04:45 柳島蒼機(心臓リハビリ中) (18)
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ここで両親が心配になってきました。
テレビを映していたので、NHK BSから津波の映像が流れてきます。
あの日両親は鴨川に行っていました。
自分は旭から銚子の方と記憶していたので、津波のニュースを見た時に覚悟しました。
幸い記憶違いだったので、それとは無縁で居られましたが、両親が帰ってくるときのことです。
帰宅コースは市原を通ってくる道のりです。
ええ、コンビナートの火災です。
真横のすぐ側の道を走っている時の事だったらしいです。
見た事もない黒い煙が上がってきて、何だろうと話していた時に、爆発炎上しました。
爆発の衝撃波は大地も車体も激しく揺らし、ビリビリと窓を震わせます。
何を思ったのか、アホな親父はお袋の乗っていた側の助手席の窓を開けた途端、爆発の熱風が車内を襲いました。
何やってんの、バカじゃないのと言われて慌てて窓を閉めたそうですが、相当熱い空気だったようです。
これがあの日の我が家のメンバーが過ごした時間でした。2014年3月11日 04:52 柳島蒼機(心臓リハビリ中) (18)
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>あいあいさん
多分それぞれに色々な経験をしたんでしょうね
幸い銚子では大きな被害もなく、家に何とか帰れたけどその後のガソリンにはみんな苦労しただろうね(/ω\)2014年3月12日 23:30 zero one (23)
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